冬のある日の彼ら
きん、と冷えた冬の空気が肌を刺す。
世間では暖冬だと騒がれてはいるが、安倍家は郊外で、しかもまだ夜明け前とくれば、それなりに冷える。
毎朝の習慣で朝刊を取りに外に出た勾陣は、白い息を吐き出しながら少し薄着だったかと、己の腕を摩った。
人身を取るようになってそれなりの時が経っているが、温度調節というものは中々難しい。
これを紅蓮が聞いていたなら、お前はいい加減すぎるんだ、という答えが返ってきそうなものだ。
「…あいつにいい加減だと言われるのは釈然としないな」
むしろそっくりそのままその言葉を投げつけてやりたい気分である。
しかし、いい加減なように見えて、意外とそうでなかったりもするのだから、何となく腹が立つ。
やれやれと息をついた勾陣の頬に、ひやりと冷たいものが触れた。
空を見上げると、どんよりとした曇り空から、ちらほらと雪が舞い始めている。
「今朝は冷えると思ったら、やはり降ってきたか」
雪には、あまりいい思い出というものがない。
積もった雪を見るたびに、白い雪と、真紅の花びらを散らしたような光景が脳裏に浮かぶ。
人の世では、あれからもう千年もの時が過ぎたが、神将にとってそれはあまり関係のないことだ。
それでも、最近になってようやくまともに雪を見られるようになった。自分も、彼も。
時が経てばひとの心も変わると言ったのは、最初の主だったか。
「私は一体何を考えているんだか…」
自嘲気味に苦笑して、勾陣は手の中の新聞の見出しに目をやりながら、踵を返して母屋の引き戸を引いた。
今日の一面トップは、来年度の予算案が衆議院を通過したらしいということだった。
玄関から廊下に上がった勾陣は、ちょうど居間から出てきた紅蓮と鉢合わせをした。
これから朝食の支度をするのだという紅蓮と一緒に、勾陣は台所へと向かった。
鍋を火にかける紅蓮を横目に、電気ポットの電源を入れ、湯を沸かしてから熱いコーヒーを淹れた。
一口啜って、深く嘆息する。最近、どうにも精神的に弱くなっているような気がして仕方がない。
平和ボケしているのだろうか。
「…勾、お前、何か今日はおかしくないか?」
「そうか?気のせいだろ」
「お前の気のせい、は大抵そうじゃないんだがな…何かあったのか?」
玉杓子を片手に気遣わしげな視線を寄こした紅蓮に、勾陣は何でもないと返した。
気づかれていないと思ったのに、この同胞はこういうところは鋭いのだ。
マグカップを片手で弄びながら、前髪をかき上げた手で頬杖を付いてその長身を見遣った。
「…雪が」
「あ?」
「雪が降ってきた…だから、色々と余計なことを思い出しただけだ」
「…そうか」
ふと、紅蓮の瞳が痛みを孕んだものになる。
忘れてもいいよと言われても、それは決して彼の心の奥底から消えることはない。
己の犯した罪。白と赤の鮮やかなコントラスト。
しばらくの間、沈黙がその場を支配した。ややあって、先に口を開いたのは勾陣の方だった。
「…詮無いことを言ったな。忘れろ」
「勾…」
「っ、と。…騰蛇?」
がたりと立ち上がりかけたところで右腕を背後から捉えられて、勾陣は僅かによろめいた。
何事かと胡乱気に振り向くと、本人も無意識だったのか、軽く目を見開いてそれから気まずそうな表情で視線を逸らした。
言いたいことがあればさっさと言えばいいものを、その口から発せられるのは、意味を成さない言葉ばかりだ。
仮にも十二神将最強の凶将が玉杓子を持ったまま困惑する様は妙に笑いを誘う光景で、勾陣は口元を緩めた。
「…何がおかしい」
「いや、言ったらお前怒るだろうから、いい」
「………」
憮然とした表情を浮かべた紅蓮は、空いた方の手でがしがしと己の頭を掻くと、玉杓子をテーブルに置いてからぐいと腕を引いた。
自分も長身とはいえそれより一回りは体格のいい腕の中に、すっぽりと収められる。
「…すまん」
「それは何に対する謝罪のつもりだ」
「それはだな…その…」
あの時の事を、一度目と二度目の理を犯したときの事を謝罪しようとしているのならば、それは無意味だ。
勾陣はもうその事で彼を糾弾しないと決め、その言葉を守っている。
今更詫びられる理由などない。
「ばか者」
もう何度目かになるその台詞を吐き出して、抱き締められたまま紅蓮に向き直った。
体格の差があるため、目の前に広がるのは彼の胸板の部分である。そこへ、ことりと額を寄せた。
「何回も同じ事を言わせるなと言っているだろう。学習能力のないやつだな。私が好き好んでこんな事を言ってると思うなよ」
それでも言い続けるのは、自分しかこの同胞を止められないだろうという自負があるからだ。
人間たちは、優しすぎる。最後の最後で彼らが手を下さなければならない時が来るかもしれないが、それは避けたい。
ずっと昔に交わした約束は、二つ。どちらもまだ有効だが、できればそのうちの片方は守りたくないと、思っている。
というよりは、それを実行せざるをえない状況というものに遭遇したくない。
喪いたくないと思ったのは、いつだろう。
大丈夫だ。共倒れなどにはならない。
傍で支えるために、常に強くあれと言い聞かせる。
胸の内に巣くう感情を理性で抑え込むように深呼吸をして、勾陣は顔を上げた。
「ほら、いつまで呆けた顔をしているつもりだ。朝食の支度をするのではなかったのか?」
「あ、ああ…」
幾分ぎこちなく頷いた紅蓮の腕から抜け出して、手伝う、と一言告げると呆れたような溜息が降ってきた。
「…何だ」
「勾よ、勝手に自己完結するのもいいが、あまり溜め込みすぎるなよ」
「ふん、その言葉、そっくりそのままお前に返してやる」
「あのなあ…」
はらはらと粉雪の舞う冬のある日の話。
fin.
紅勾/微甘/冬/現代 というリクを(かなり)前に頂いたので…
…これは甘い、のか?むしろ仄暗い気がしないでもない
とりあえず紅蓮の前ではちょっと弱さの出る姐御が最近のマイブームです
07.2.08.