梅雨のある日のオフィス
エリア11に、雨季がやってきた。イレヴンの言葉でツユというらしいが、よくもこう毎日毎日飽きもせず降るものだと、半ば呆れに近い感情を含んだ目でジェレミアは執務室の窓から外を眺めた。水滴が幾筋もガラスの表面を伝って流れているその向こうには、中庭の木々が静かに佇んでいる。雨もそうだが、じめじめとした湿気も鬱陶しい。おかげで髪が乱れて仕方がないと、ジェレミアは前髪を何とはなしに弄った。
「ジェレミア卿、いかがなさいました?」
「いや、何でもない。ただ、この雨はいつまで降るのだろうかと思ってな」
ぼんやりとした様子のジェレミアを訝しんだヴィレッタが、僅かに眉根を寄せて問うてきたのに対して、ガラスに映った彼女に投げやりに返したジェレミアは首だけで振り向いた。
「確かに、ここのところずっと雨続きですし、これでは訓練もまともにできません」
「まったくだ」
コツコツとブーツの踵を鳴らして近づいてきた己の副官の長い銀の髪が視界を掠め、そちらに気を取られたジェレミアはそのままヴィレッタの髪に手を伸ばした。
「…あの、ジェレミア卿?」
突然の行動に困惑した表情を見せるヴィレッタの横髪を指に絡めて弄りながらそのまま頬に手を滑らせると、ぴくりと身体が震えたのが分かった。
「これだけ長いと髪の手入れに苦労するのではないか?」
「は?…ええ、まあ雨の日などは多少は」
時間がかかりますが、とヴィレッタは自分でも髪をひと房摘みながら答えた。
しかし、彼女の髪はジェレミアとは違って癖もなく真っ直ぐにさらさらと流れているので、それほどではないだろう。雨の日に起床して鏡を見るたびに出勤するのが厭になる自分とは。
「羨ましいな」
「はあ…」
適当に相槌を打って、ヴィレッタは未だに髪を弄って遊んでいる上官の顔を見上げた。複雑にウェーブを描く前髪を見て、なるほど、と納得する。
「雨は、お嫌いですか?」
「髪が乱れるからな」
完璧主義のジェレミアらしいと、ヴィレッタは小さく笑った。そんな彼女に、ジェレミアは「お前はどうなのだ」と、質問を投げ返した。
「雨の日に外出するのは好きではありませんが、こうして部屋の中から雨が降っているのを眺めるのはさほど嫌いではありません」
水煙で霞む庭や、天の恵みを得て活き活きとしている草木、窓ガラスに複雑な模様を描く雨粒を、何も考えずに見ていると、時間を忘れさせてくれる。
最も、最近ではそんなことに使う時間もなくなってしまったけれど。
目を伏せて視線を窓に移したヴィレッタに何かを察したのか、ジェレミアは何も言わなかった。
そうしてしばらくの間、執務室には沈黙が流れる。雨が他の音を吸収しているためか、それとも皆が鬱々と仕事に励んでいるせいか、今日は酷く静かだ。
数分後、ジェレミアは指を絡めていた銀の髪に一つ口付けを落としてから、ゆっくりとした所作で椅子の背凭れに手をかけた。
「ヴィレッタ、お茶を淹れてきてくれないか」
「………はい、只今」
ようやく開放されたヴィレッタは、軽く一礼すると、執務室に続く給湯室へと姿を消した。その後姿を見送ってから、ジェレミアは椅子に座ってデスクに向かい、積まれていた書類のうちの一枚を手に取った。
面倒臭いからこのまま明日に回してしまおうかなどと考えながら頬杖をつき、空いた手でペンを回していると、机の端にコトリとティーカップが置かれた。
「ジェレミア卿、それは明日までの書類です」
「…そんなことぐらいわかっている」
「昨日も同じことを仰っていましたが」
痛いところを突かれて、むむ、と押し黙ったジェレミアに「仕事が進まない理由を雨のせいになさらないでください」ときっぱり言い切って、ヴィレッタは己のデスクへと戻った。
「…これを飲み終わったら始める」
「そのお言葉、確かに聞きましたので」
彼女の信用を損なわない程度には真面目に仕事をしているはずなのだが、と軽く溜息をついて、ジェレミアはティーカップをソーサーから取り上げた。
外の雨、未だ降りやまず。
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