Hush-a-bye
ジェレミアが突然ペンを放り出して、「退屈だ」と言ったのは昼の1時を少し回ったぐらいの時だった。
傍らで自分の仕事を処理していたヴィレッタは、またか、と気づかれぬように小さく溜息をついた。
基本的にジェレミア・ゴットバルトという男は国家と己の職務に極めて忠実である。基本的に。
しかし、その真面目さゆえに余計なストレスを溜め込んでいくのもまた事実であり、ストレスが臨界点に達するとこうやって投げやりな態度を取るようになるということを、永い付き合いからヴィレッタは学んだ。こうなった時には大抵ジェレミアは執務室を抜け出して仕事をサボるか、ヴィレッタに構って仕事の邪魔をしてくるかのどちらかなのだが、今日はどちらでもなかった。
「ヴィレッタ、ナイトメアの模擬戦をやるぞ。付き合え」
「……は?」
突拍子もない発言に、思わず顔を上げて上司の顔を直視した。一体またこの人は何を言い出すのかと考えている間にジェレミアはさっさと椅子から立ち上がりドアに向かって行く。その背中は無言でついて来いと言っているので、仕方なくヴィレッタもその後に続いた。
そうして訓練場で剣を交えること1時間半。思う存分ストレスを発散できてジェレミアは満足したらしい。
シャワーで軽く汗を流したヴィレッタはジェレミアがまだシャワールームにいることを確認して先に執務室に戻った。
上着と手袋をソファの背にかけ、タオルを片手に座って一息ついた。心地よい倦怠感が全身を覆っていて、デスクワークで鈍りがちの身体には丁度よい運動になったようだ。半ば無理やり付き合わされた身でそう思う自分は甘いのだろうかとヴィレッタは頭の片隅で考えた。
しばらくの間そうしてぼんやりとしているとドアが開いてジェレミアが入ってきた。頭からシャワーを浴びて来たのか、髪の先から水滴が滴っている。ジェレミアは小脇に持っていた軍服の上着をヴィレッタと同じように背もたれに投げ出し、隣に腰を下ろした。
「ジェレミア卿、髪が…」
まだ濡れています、と手にしていたタオルで水分を拭き取っていく。額に張りついた髪をかき上げて横に撫でつけるとその下から幾分疲れの色が窺える橙色の瞳が覗いた。
「卿、お疲れですか…?」
「ああ、少しな」
珍しく覇気のない声でそう答えるとジェレミアは「寝る」と一言呟いてヴィレッタの膝に頭を乗せ、ソファに横になって目を閉じた。
「1時間経ったら起こせ」
言うが早いか次の瞬間、ジェレミアは既に寝息を立てていた。本当に疲れていたのか、目を覚ます気配は全くない。このところ相次ぐテロの事後処理などの激務に追われていた姿を見ているので、無理もないと納得した。
ヴィレッタは慎重に体勢を変えてジェレミアの上着に手を伸ばし、風邪を引かぬようにとそっとその身体に掛けた。
「おやすみなさい、ジェレミア卿」
よい夢を。
fin.
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