candlelight




 何気なく覗いたカーテンの向うに見える空はすっかり薄暗くなっている。
 あと30分ほどで終業時間だと時計を確かめて、ジェレミアは執務机の上に散らばった書類を集めた。
「卿…まだ時間ではありません」
「そんなものは知らん」
 呆れたように窘めるヴィレッタに今日中に終わらせなければいけなかった分の紙の束を渡して、残りはそのまま机の隅に放る。
 凝り固まった肩を回すと、一日の公務に耐えた筋が悲鳴を上げた。
「では、こちらを提出して参りますね」
 いつもこのぐらい真面目にやってくださると助かるのですけれどと軽く呟いた副官の背に向かってジェレミアは、「ところで」と呼び止める声を発した。
「ヴィレッタ、今夜の予定は空いているか?」
「えぇ…、特に何もありませんが」
「では、どうだね?一杯付き合わぬか」
 こうした誘いを彼女が断らないことは先刻承知の上である。今回もヴィレッタは一瞬考える素振りを見せた後、「いつものところですか?」と諒承の意を示した。
 いつもの行きつけのバーでもいいが、それよりも趣向を変えて別の場所でと思案したジェレミアはふと思いついて口の端を吊り上げた。
「場所は…そうだな、君の部屋がいい」
「は…?」
「構わないかね?」
「…承知しました」
 恐らく予想をしていなかったであろう言葉に、ヴィレッタは訝しげに首を傾げて頷いた。


 幾度となく訪れているヴィレッタの部屋はさほど広くはないが内装の趣味もよく、余り表面には出ることのない持ち主の人となりを窺わせている。
 落ち着いた暖かみのあるこの部屋と、ナイトメアパイロットとしての毅然とした彼女をジェレミア自信最初はすぐに結びつけることができず、人は見かけによらないものだと思った記憶があるが、上司と部下という肩書き以上の関係を築いている今となっては勝手知ったるところである。
 しばらく来ない内にまた新しいインテリア雑貨が増えているなと観察しつつ上着を脱いでソファへ投げ、その横に手袋とタイも放ったところでヴィレッタがキッチンからチーズとパンを持ってきた。
 普段のどこまでも軍人然とした様子からは想像もできないようなこうした家庭的な一面を彼女が持っていることを知っているのは自分だけだと考えると、ある種の優越感が生まれる。
「このようなものしかありませんでしたが、よろしいですか?」
「構わん」
 一度テーブルにそれらを置いてから再びキッチンに戻ったヴィレッタは軍服から長袖のシャツと黒い膝丈のタイトスカートに着替えていて、ブーツも室内履きのスリッパになっている。惜しげもなく晒された素足のラインに、自然と目が行った。
 まじまじと観察していると、視線に気づいたヴィレッタが軽く首を傾げながらグラスとワインを置いた。
「卿…?いかがなさいましたか?」
「いや、何でもない…。そうやっていると本当に別人のようだな」
「…髪を下ろしたからでしょうか…」
 勤務中は高く結い上げられている銀の髪も、解いて邪魔にならないように肩の下で緩く纏めている。それだけで一気に印象が変わるから不思議なものだとジェレミアは胸中で呟いた。
 些か居心地が悪そうにしながら未だに立ったままでいるヴィレッタの腕を取って隣に座らせ、ワインの栓を抜いた。
 しばらくの間、ゆったりとした時間が室内に満ちる。室内の照明をできる限り抑えている代わりにテーブルにはキャンドルが灯されていて、それが居心地のよい空間を作り出していた。
 時折他愛もない会話を交わしながらグラスを空け、気がついたときにはボトルの中身を半分ほどまでに減らしていた。
「ところでジェレミア卿、今日はどうして…」
 それまで聞き役に回ることが多かったヴィレッタが思い出したようにそう漏らした。
 何故、という理由を探して、ジェレミアは傾けたグラスの中の真紅の液体に目を落とす。
「外で飲むよりも落ち着くからな。たまにはこういうのも悪くないだろう」
「そう、ですね…」
 最近テロや暴動が多発していて忙しかったせいもあるかもしれない。ここだと他に気を使う必要なく寛ぐことができる。
 余計な邪魔が入ることもない、二人きりのプライベートな時間はもう随分と過ごしていなかった。
 頷いてみせたヴィレッタの横顔からテーブルの上へと視線を動かすと、焔がちらちらと揺らめいている。その橙色の焔をじっと見ていると顔が火照ってくるような感覚に襲われてきた。自覚している限界には程遠いはずなのだがそろそろ酔いが回ってきたのかもしれない。
 額にかかる前髪を掻き上げてジェレミアは深く息をついた。
「卿…大丈夫ですか?」
 気遣わしげな表情で手を伸ばしてきたヴィレッタの手首を捉えてそのまま身体ごと腕の中に引き寄せる。僅かな抵抗の言葉が形になる前に唇を塞いだ。
「きょ…っ、んぅ…っ」
 欲望のまま存分に口腔内を蹂躙し唇を離すと、呼吸を乱したヴィレッタが非難めいた眼差しを向けてきた。
「…っ、かなり酔っておられますね」
「心外だな。これでも私は平静なつもりだが」
 口角を持ち上げてそう返すと睨まれたが、彼女の方もそれなりに酒が入っているのかあるいは本気で拒絶するつもりはないのか、視線に常のような鋭さはない。
「明日は公休日だ」
 文句はなかろうと細い首筋に口付けを落とすと、抵抗することを諦めたヴィレッタが身体の力を抜いたのが伝わってきた。
「いいのか?」
「……今更何を仰ってるんですか」
 せめて寝室にしてくださいという囁きと共に、するりとヴィレッタの腕が首に回された。

fin.

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