昼下がりの孫
いつものように陰陽寮で墨を磨りながら、昌浩はふわ、と欠伸を噛み殺した。ここのところ段々と日差しが春めいてきて、日中だと蔀や遣り戸を開けていても寒くないようになってきた。それに加えて連日の夜警の疲れが出たのか、時たま意識が飛びそうになる。
手元が狂って墨がこぼれたら大変だよなぁ、と頭を振って眠気を覚まそうとするのだけれども、やがて単純作業に飽きてきた頃、瞼が重くなるということを今日一日で何度繰り返したのかわからない。
「ほら昌浩、手が止まっているぞ」
「えっ!?…ああっ!!俺、またうとうとしてた…?」
「まったく、しっかりしないとな、ま―」
「ま、孫言うな!」
「いや、私は言わないのだが…」
つい条件反射で身構えてしまい先手必勝とばかりに言い返してしまったが、相手は聞きなれた子供のような高い声ではなく耳に心地よい低めのそれだ。
振り向くと、やれやれと呆れ笑いを含んだ表情を浮かべた勾陣が立っていた。
ごめん、と一言謝って、昌浩は再び文台に向かって墨を磨り始める。
ふと目を上げると、いつもならばそのまま隠形してしまう勾陣が昌浩の視界に入るところで柱に背を預けて腰を下ろしている。これはもしかして、自分が居眠りをしてしまわないために話し相手になってくれるのか、それともただの見張りなのか。
いやいや、何事も好意的に受け止めないと、と昌浩は手元を動かしたままで勾陣に話しかけた。
「ねえ、勾陣さ、何か面白い話ない?」
「…随分と唐突だな。いきなり面白い話をしろと言われてもな」
「こう…眠気覚ましになるような」
「ふむ…」
口元に手をやって思案する勾陣を見やって、そういえばこの前の話の続きを聞かせてもらっていない、と昌浩は思いついた。
「じゃあ、この前の続き聞かせてよ、ほら、俺が子供の頃に紅蓮が〜ってやつ」
「ああ、あの話か」
あの後、結局うやむやの内にその話題は焦った紅蓮によって終わらせられてしまったため、詳しい経緯をまだ知らないのだ。
幸いにして、物の怪は現在この場を離れている。日差しが暖かくなった時間に、勾がいるなら安心だろうから俺はちょっとそこら辺で寝てくると言い残してぽてぽてと出て行ったのだ。
今こそ、絶好の機会である。
よくよく考えてみると、昌浩は今まであまり自分の小さい頃の話をちゃんと聞いたことがない。
父や母とも、そういえばそんな会話をする機会もなかった。だから、昌浩にとってこれはもの凄く興味深いことなのだ。
「その頃は私もあまり人界にはいなかったから、断片的でしかないが、構わないか?」
「うん」
確かあれはお前が二歳の時だったか、と語り始めた穏やかな声を耳にしながら、昌浩は再びうつらうつらと舟を漕ぎ始めた。
fin.
孫と二番手の陰陽寮での会話
もっくん出番なし
やまもおちもいみもなし
07.5.21.