'081122
午後4時を回るとスーパーの店内は夕食の材料を物色する主婦達の姿とお喋りで賑わいを見せている。その中を歩くのは些か場違いなような気がして、やっぱり同行するのを止めればよかったと、勾陣は少しだけ後悔した。人混みはあまり好きではないのに、何故今日に限って騰蛇の買い物に付き合うなどという気まぐれを起したのか、30分前の自分に問いただしたい気分だった。
「……で、今日の夕飯は何だ」
「何でそんなに不機嫌なんだ、勾。着いてくるって言ったのはお前だろ。文句言わんと考えろ、ほれ」
「だから、今私はとても後悔しているところだよ……」
買い物カゴ片手に隣を歩く騰蛇にぼやきを返して、勾陣はあれこれとポップが並べられた生鮮食品のコーナーに目をやった。
そろそろ鍋物の季節だから、陳列もそれに合わせたものになっている。
「鍋か……いいな」
「また、煮込みか?」
顎に手を当てて何やら口の中で呟いている騰蛇に勾陣は斜め下から不満を漏らした。途端に、「うるさい」と小さく反論が寄越される。
いい加減それ以外のレパートリーも覚えればいいものを、彼の作る料理は全てが煮込み系だ。特に、冬になるとそれが顕著になる。結局カレーもシチューも肉じゃがも、味付けを変えただけで材料はほとんど同じではないかと一度文句を言ったところ、「一緒くたにするな!」と異を唱えた騰蛇と、もっと回数を減らして間を空けろとやりあったこともあった。だが、結局お子様達が好きなメニューであるからして、食卓には頻繁にそれらが並ぶのである。
そして、もう一つ。冬になると安倍家に限らずどこの家庭でもお馴染みとなるのが、鍋物だった。
「先週食べただろ」
「あれは水炊きだろ」
「同じじゃないか」
「じゃあカレー鍋にするか」
「……そうくるのか。というか、それはおいしいのか?」
騰蛇の中で勝手に一つの結論が出たらしく、よし、と頷いてからカレー鍋の元をカゴの中に放り込む。それから、鍋に合わせた野菜を適当に見繕って、二人は肉の棚に向かった。
何だかんだで安倍家の人口は多いから、食材もそれなりの料を用意しておかないと後からやってきたものが食いっぱぐれる羽目になってしまう。これでもかと肉のパックをカゴに詰め込んでいた騰蛇がふと顔を上げて、あ、と声を上げた。
「どうした」
その視線を辿って勾陣が首を廻らせると、少女を連れた若い女が、同じようにその顔に半ば驚きの色を浮かべて立っていた。どこかで見たことのあるのだが、思い出せない。そうしているうちに、騰蛇はその女と挨拶まで交わしていた。ますます勾陣の中で疑問が膨れ上がる。連れの少女に何気なく目をやると、10歳かそこらという見た目の割合には大人びた表情でじっと二人の様子を眺めている。女の娘、にしては年が合わないから、年の離れた妹か、と思案してみたが、そのような雰囲気でもなさそうだ。
「騰蛇、誰だあの女は」
軽く会釈して去っていった女と少女の背を見ながら、勾陣は低く呟いた。思い出せない。どこかで、会っているはずだ。あと少しで思い出せそうなのにわからないこの感覚が気持ち悪い。
「覚えてないか?ほら、伊勢の」
伊勢、と言われてようやく勾陣は「あぁ、あの」と納得の相槌を打った。そうか、ではあの少女が。
「何だ、それならそうと早く言え。てっきりお前といい仲なのかと思ったではないか」
からかう口調で二の腕を小突くと、騰蛇は「い、いい仲だと!?誰が、誰と!?」と慌てふためいて手を振った。どうやら本気で焦っているらしい態度に、勾陣は笑い出したい衝動を何とか堪えた。
「冗談だ」
「……お前な」
冗談に決まっている。でなければ、勾陣はこんなにも平静でいられない。この男が無駄に人目を引く容姿をしていると気づいたのは随分と前だが、本人にその気が全くないので今のところ勾陣の心の平穏は保たれていると言ってもいい。まあ、とは言っても騰蛇と自分は正確にはそのような関係ではないのだが。
「ほら騰蛇、さっさと買い物の続きをするぞ」
ぐいと腕を引いて、勾陣はその場から離れた。
何気なくカレンダーを見て、何となくつけたテレビを流し見ていた時点で、今日の夕食は自分の中で決まっていたも同然だった。
「……阿曇」
「どうかなさいました?」
小さく名を呼ばれて、阿曇は傍らの少女を見下ろした。様々な複雑な事情を経てわけあって生活を共にしているこの少女は、これまであまり外の世界に触れたことがない。それなのに、今日は珍しく買い物に着いていきたいと言った。慣れない人混みに疲れたのだろうかと首を傾げると、少女は一つ瞬きをして、カゴの中身を指で示した。
「今日は、鍋にするのか?」
「ええ。……お嫌いでしたか?」
「いや……わらわは、嫌いではない」
声は小さいが、ちゃんと阿曇の言ったことに対して返事をしてくれるようになったのが、つい最近のこと。年の離れた妹ができたような気分になり、あれこれと世話を焼いては同居するもう一人の男に呆れの眼差しで見られているのを、知っている。ろくに家事もできないくせに、少女の面倒だけは見たがる男の顔を思い浮かべてしまい、カゴを握る手に力がこもる。あの男のために肉の量を増やしてやるべきかと一瞬でも考えた自分が、また腹立たしい。
「阿曇……?」
「はい、なんでしょう」
咄嗟に取り繕い、阿曇は笑顔を向けた。いけない、つい彼女の存在を忘れてしまいそうになった。
「さっきのあの男は、阿曇の知り合いか?」
じっと、黒目がちの大きな瞳が阿曇を見上げる。ああ、それが一番気になっていたのかと合点がいき、阿曇は「ええ」と首肯した。
「古い知り合いです。私や、益荒の」
「そうか……不思議な雰囲気がした。一緒にいた女も」
「さすがに、察しがよろしいですわね」
彼女の感じたとおり、あの二人はそれらしい姿をしているが人間ではない。広いくくりで見れば阿曇たちと同類だ。
「いずれ、きちんと対面する機会もあるかと。さ、それよりも早く買い物を済ませてしまいましょう」
「ああ……そういえば、何故今日は鍋なのだ?」
促した少女が興味深そうに目を瞬かせた。あまり予想をしていなかった質問に、阿曇はしばらく迷ってから口を開いた。
「今日は、11月22日ですから」
「何かあるのか?」
「いい夫婦の日です。と世間では言われています。ですから、3人で鍋を囲もうかと思いまして。夫婦ではありませんが、家族のようなものですから」
家族、と称するにはまだまだ阿曇たちの付き合いは浅い。ならば、これにかこつけて少しでも少女との団欒を、という思考の下だったのだが、その答えに彼女はぽかんと口を小さく開いた。
「家族……わらわと、阿曇たちが」
かぞく、ともう一度、その言葉の響きを確かめるように口の中で転がす。あたたかい人の繋がりを知らない彼女からすれば、それは酷く縁遠いものだったろう。
「えぇ、家族ですわ」
そっと少女の頭に触れて髪を撫でると、漆黒の瞳がうろうろと宙を彷徨い、やがて少し、嬉しそうに細められた。
「かぞく、か」
< ほんのりと阿曇の心にも灯が燈ったように温かくなる。ささやかな幸せとはこういうことをいうのだろうかと笑みを深くした時、唐突に少女が思いもよらなかった爆弾を落とした。
「ところで、阿曇と益荒は夫婦ではなかったのか?」
「……斎さま!私とあの男がそのような関係ではないと何度申したらお分かりになるのですか!?」
夕方のスーパーの店内で、周囲に聞こえないように声を潜めるだけの理性は、まだどうにか阿曇は持ち合わせていた。
「なんだ……違うのか。わらわはてっきりそうなのかと思っていた。二人は仲がよいだろう」
「……」
眩暈を起しそうなのを何とか堪えて、阿曇は「そう、見えるのですか……?」と尋ね返した。どこをどうみれば、日々口論の堪えない、時には実力行使すら辞さない阿曇と益荒の日常を「仲がいい」と評すことができるのだろう。ああ、やはり彼女は色々と不思議だ。
「そう見える。正直……少しだけうらやましいと思っていた。だから、今わらわは少しだけほっとしている」
ぽつりと呟かれた斎の本音に、阿曇は虚をつかれた思いで瞬きをした。二人の会話の内容は大半が斎を巡ってのものなのだが、彼女にはそれが通じていなかったようだ。斎が羨ましがる要素も、寂しがる必要も全くないというのに。
「それは、斎様の勘違いというもの。私たちはいつもどうすれば斎様が快適な生活を送れるのかと二人で智慧を出し合っているだけなのですよ」
出し合っているというか、互いに互いのアイデアにけちをつけあっているだけというか。それはさておき、嘘はついていない。
「ですから、今度は斎様もご一緒に、ご自分の意見を言ってくださいませ」
「……わかった。そう、する。……阿曇」
こくりと頷いて、斎は口元に本当に小さな、笑みを浮かべた。
「はい」
「……あり、がとう。わらわのために」
その一言で、どれだけ阿曇の心が晴れやかになったことだろうか。
fin.
いい夫婦の日
08.12.8 memoから移動+加筆修正