黄泉路
里の様子を少し見てきてほしいと主に言われたのは、ほんの半刻ほど前だ。
全身に巻かれた包帯は、見ているこちらの方が痛く
なってくるような、とてもじゃないが、傍から離れることなどできないような、そんな雰囲気を醸し出していたが、当の本人が薄く笑いながら、心配するな、と言うものだから、溜息混じりにわかったと返事を返して勾陣は山中に結ばれた庵から余戸里へと下りた。
宮司と崇めていた人物の失踪は、当初は里の人々に衝撃をもたらし、混乱が起こったようだったが、半月もすれば、彼らは否応なく日常の生活に戻らざるをえなかったようであり、現在、状況は比較的落ち着いているように見受けられた。
里をぐるりと一周し、何事もないということを確認して、勾陣は庵へ戻ろうかとそちらへ足をやりかけたが、ふと思い返して違う方向へと身体を反転させた。
向かう先は、伊賦夜の坂 黄泉へと通ずる場所。
千引磐へと続く隧道へと足を踏み入れた勾陣は、足を止め、陽の光の届かぬその奥に存在する巌を見定めるかのように双眸を細めた。
死とは、何であろうか。
十二神将にとって、それは余りにも愚問であり、考えても詮方ないことだとはわかっている。
勾陣が初めて経験した身近な者の死は、先代の天一であったが、彼女はその場にいたわけではないから死の瞬間を見ていないし、十二神将は死んでも再生されるのだ。『先代の天一』という人格は死んだが、『十二神将天一』は、生きている。
それは果たして、『死』と言えるのであろうか。
安倍晴明の配下に下り、人間と接するようになってから、彼女はようやく死というものを知った。
黄泉路をゆくというのは、どんな気分なのだろうか。
勾陣は、それを知らない。だが、置いていかれる側の気持ちは、嫌というほど理解した。
瀕死の主を見て、死を恐れた。
そして、 もしも騰蛇が死んだら、という恐怖に襲われた。
騰蛇から、殺してくれ、という懇願を受けた時、勾陣は必死に己の感情をひた隠した。
失いたくないと、思った。この手にかけることは、恐らく決してできない。
「…私は、何を考えているんだ」
ふ、と呟きが零れた。目の前には、相変わらず暗い岩肌を晒した道が続いている。
いつからこんなに感傷的になったのだと、自嘲的な笑みを浮かべて、勾陣は身体を翻した。
「晴明、戻ったぞ …騰蛇?」
「…勾、か」
一声かけて縁側から庵の中に入った勾陣は、晴明の枕元近くに、騰蛇が座しているのを認めた。
名を呼ぶと、何故か気まずそうに、騰蛇がこちらを向いた。
「ああ、勾陣。戻ったか。里は、どうだったか?」
こちらは何故か楽しそうな目で見上げてくる主に、勾陣は首を軽く傾げ、騰蛇の横にすとんと腰を下ろした。
「特に何も目立った混乱は見られなかった。そんなことをしている余裕がないと彼らもわかっているのだろう」
「そうか…」
ほう、と息をついて目を閉じた晴明に、休息が必要だと判断して、勾陣はこれ以上の会話を切り上げ、ちらりと騰蛇を見た。
異界にいた時よりはかなり平静を取り戻しているようで、内心で安堵の息をつく。
が、何か、微妙な違和感を覚え、彼女は騰蛇を上から下まで眺めた。
「…騰蛇、何か、あったのか?それに、その額のそれは 」
以前にはなかった金冠から感じるのは、晴明の術の気配だ。そして、彼の神気がかなり抑制されている。
勾陣の問いに、騰蛇はああ、と首肯して、それから晴明の方を見遣り、そろりと立ち上がった。
確かに、休むのならそっとしておくのがいいだろう。二人は六合に声をかけて晴明の護衛を任せてから、庵を離れた。
「…力を抑制するための枷、か」
「そうだ。俺が、晴明に頼んだ」
庵からは若干離れた山中の木の枝に腰かけ、勾陣は、なるほど、と頷いた。
彼女より僅かに高い場所にある枝に同じように幹に背を預けて座る騰蛇の表情は、硬かった。
「…勾」
「何だ」
「…あの時お前に言った言葉を違えるつもりは、ない」
「……っ」
無意識のうちに、枝の上に置かれた指先が強張った。
「もしも、何かの折に封印が外れて、力の抑制がなくなるようなことがあったら 」
「その時は、か。……考えておくよ」
「すまない。 先に、戻る」
立ち上がったその背に、勾陣は騰蛇、と呼びかけた。
「その封印のせいで私よりも弱くなって、十二神将最強の名を返上することにならないようにな」
口の端に笑みを乗せてそう言うと、騰蛇は寂しそうに笑って、異界へと姿を消した。大方、返上できたらどんなにいいかとでも、思っているのだろう。
騰蛇を見送り、勾陣は我知らず深く息をついた。ふと剥き出しの腕に目をやると、治りかけた火傷と裂傷の痕が目に入る。あの時前後不覚になった騰蛇を止めようとして負った傷だ。
そこに触れて、勾陣は口元を引き結んだ。
胸に秘めたこの想いは、知られるわけにはいかない
そういえば、と勾陣は口元に手をやった。先ほどから感じていた、あの違和感は何だったのだろうか。
今までの騰蛇との会話を頭の中で再生して、唐突に彼女はその正体に行き当たった。
彼は、自分のことを、『勾』と、確かにそう呼んだのだ
fin.
かなりこじつけな気がしないでもない…
時間軸的には紅蓮が勾陣の二つ名を知った直後ぐらい
姐御はある意味紅蓮よりも深く彼を想ってます、というお話?
06.10.9.