相互抑止




 考えてみれば、随分と不公平ではないか、と唐突に勾陣が呟いた。
「……何の話だ」
 基本的に彼女の発言は常に気まぐれで、捉えどころがない。と思えば実によく真理をついてくるので油断も隙もないのだが、今度は一体何を言い出すのかと、物の怪は片耳をひょいと上げて傍らの勾陣を見上げた。
 正月も半ばを過ぎ、慌しさは一時よりもかなりましになった。だからこそ、今二人はこうして陰陽寮の片隅で簀子に腰を下ろし他愛のない会話ができている。
 物の怪の視線を受けて、勾陣は口元に手をやり、軒越しに見える冬の空へと顔を向ける。
「別にどうというわけではないのだがな……昔、約束をしただろう」
 その言葉に、物の怪の背中の毛がひくりと逆立つ。彼女が言うのは、五十年前のあのことだろう。再び騰蛇が理を犯すことがあったならば、どうか止めてくれと、殺してくれと半ば一方的に懇願した。
 それがどうかしたのかと、物の怪は恐る恐る勾陣の顔色を窺った。彼女のことだから、今になって約束は反故だとかは言いはしないだろうが、考えが読めない以上次に続く言葉が恐ろしい。
「……それが、どうした」
「いや、ふと思ったのだが。お前だけ私にそれを押し付けるというのは些か不公平ではないか?」
「……は?」
 本気で勾陣の言っていることが理解できず、物の怪は口を開けっ放しにしたまま首を傾げた。
 不公平、と言われれば確かにそうかもしれない。自分は彼女に願いを押し付けた。ただ、だからどうすればいいのかと考えてもいい案があるわけでもない。
 押し黙った物の怪に、勾陣は軽く首を傾けて淡く笑った。
「だから、思ったのさ。……騰蛇、もしも私に何かあったら、お前が止めろ。これなら、公平だろう?」
「はぁ……!?」
 今度こそ、物の怪は言葉を失った。と同時に、五十年前の主の声が耳の奥に甦る。
      お前に、教えておくよ
 あの時、騰蛇は晴明から一つの言霊を預けられた。それは、今隣に座る彼女の、誰も知らないもう一つの名だ。もしもの時があったならばと、晴明は言った。誰にも代ることのできない役目があった方がいいだろう、と。
 晴明がそれを教えたことを、勾陣は知らないはずだ。たぶん。
だから、物の怪は今必死に勾陣の意図するところを読み取ろうとした。まさか彼女の口から晴明と同じ言葉が出てくるとは、どういうつもりなのか。
「どうだ、騰蛇。いい考えだろう?」
 さも名案だと言わんばかりに足を組み替えて、勾陣は物の怪の頭を撫でた。動物扱いをするな、と声を大にして言いたい。この場所が陰陽寮でなければ、すぐさま本性に戻りたい気分だ。忍耐の文字を噛み締めて、物の怪は長い尾を振った。
「あーあー、わかった。もしお前に何かあったら俺に任せておけ……ないことを心底願ってるがな」
「それは私も同じさ」
 喉の奥で笑いを漏らした勾陣を斜に睨み、まったく同意だと言う代りに耳をぱたりと揺らす。暴走した勾陣など、想像するだけで腹の底が冷える。
 折りよく、正午を告げる鉦鼓が鳴った。物の怪と勾陣はちらりと顔を見合わせて、そろそろ昌浩が居眠りをしていやしないか観察しにいってやろう、とどちらともなく腰を浮かせた。

 この時はまだ、二人ともこの約束が効力を発揮する日がくるなどとは、夢にも思っていなかった。

fin.

このときは、まだ

09.2.22