末期の幻




 最期に見たものは、何だったのだろうか。
 重い瞼を持ち上げて、一番初めに視界に入ったのは、呆れと安堵と、若干の怒りがない交ぜになったような同胞の顔だった。
 戯け者、と吐息混じりに呟かれたものの、言い返す気力もなくて、そのまま目を閉じた。


 山中に設えられた質素な庵で、物の怪は長い尾を不満気に振った。
 何故、こんな姿なのだろうか。記憶を辿っても、曖昧で何も思い出せない。苛立ちを紛らわせるためにがりがりと床をかいていると、傍らによく知る神気が顕現した。
「…勾か、何の用だ」
「用がなくては来てはいけないとでも言うのか?」
 剣呑な瞳を向けてみるが、彼女にそんなものが通用するはずもなく勾陣は涼しい顔で隣に腰を下ろした。
 ぱたり、と片耳をそよがせて、話だけは聞いてやると言わんばかりの姿勢でその顔を見上げた。
 最も、こちらにだって聞きたいことは山とある。ぽっかりと抜け落ちたような記憶、庵で横たわる子ども、そして、この異形の姿。
 物の怪以外の神将達は、事情を知っているようなのに自分だけが置いてけぼりにされているようで、それもまた気に喰わない。かと言って、六合は大抵隠形しているし玄武と太陰は近づいて来ようとしない。だからこうやって話ができるのは、傍で読めない表情をしている勾陣だけだった。
 しばらくの間、ふたりの周囲には沈黙が流れ、互いに口を開く機会を伺いながらその糸口が掴めずに時間が経過した。
 ややあって、勾陣が軽く息をつき、物の怪を掬い上げて膝の上に乗せた。
 抵抗を試みる物の怪を押さえつけて、勾陣は白い毛並みを梳く。撫でられる感触を以前にも感じたことがあったような気もするが、果たしていつ、誰がそうしたのかが思い出せなくて、無性にもどかしい。
 出雲で目を覚ましてから、こんなことばかりだ。
「勾、俺は何故ここにいる」
「言っただろう、晴明の命だ」
「では、何故こんな姿をしている」
「晴明の、命だな」
 違う。どちらの問いに対する答えも、物の怪自身がそれを望んだからだ。あの晴明の孫の傍にあるために。けれど、そのことをこの物の怪が、騰蛇が知る日はもうこないだろう。昌浩が、望んだから。
 哀しいな、と勾陣は胸の内で呟いた。13年かけてようやく騰蛇がここまで変わったというのに、全ては振り出しに戻った。
 昌浩と出会う以前の騰蛇との方が過ごした時間は長いはずなのに、記憶に鮮明に刻まれているのは出会ってからの騰蛇だ。いつの間にか、好ましい方向に変わった騰蛇が当たり前になっていて、まさか再び凍てつく孤独を抱えた姿を見るなんて、想像もしなかった。
「なあ、騰蛇。お前にとって、その欠けたものは大切か?」
「何を…別になくとも困りはしない。俺が俺であることに変わりはないのだからな」
「そうか。……物の怪のもっくん」
「…っ、何だそれは」
「さあ、知らないな。何となくそう呼んでみただけだ」
「……」
 ざわりと物の怪を取り巻く神気が苛立ちを帯びた。もっくん、とその呼称で呼ばれた時、反射的に何かを言い返したくなった。一体何だったのだろうか。
 ああ、またこの感覚だ。いらいらする。
「眠れ、そうすればきっと楽になるさ」
 呟かれた声と共にゆるりゆるりと背を撫でられて、物の怪は四肢の力を抜いて瞼を閉じた。
 眠りに落ちる寸前、ひどく懐かしいものを見た気が、した。
 それが何だったのかは、分からない。

fin.

普段とは少し違う感じで、出雲のもっくんと勾陣

07.5.5.