紅蓮×慧斗
惚れている、とは果たしてどういった感情を指して言うのだろう。こういうとき、ひとが恨めしい。彼らの思いの具現である十二神将は他の天津神や国津神よりもひとに近しい思考を持ち合わせているが、しかしそれは不完全なものだからだ。ひとによって生み出されなければ、こんな中途半端な想いをもてあますこともなかっただろうに、と。
紅蓮は考えていた。過日の外法師との一件により喉を潰してしまったため、昌浩からは「もっくんはしばらくお休み」を言い渡されたから、時間はあった。その間、静かな安倍邸で紅蓮は考えていた。
勾陣へ向ける感情は、既に戦友とか同朋の域を超えている。それはわかる。だが、それではどう想っているのかと訊かれれば確たる回答はできない。
例えばこの手で守ってやりたいと、昌浩が彰子へ対して抱くようなものではない。その挙動にはらはらさせられることはあれど、勾陣は守られるほど弱くないからだ。
例えば朱雀と天一のように人目をはばからず大っぴらにべたべたとくっついていたいわけでもない。そんな光景は自分で想像してみただけでも鳥肌が立つ。
結局の所どうしたいのか。どうもせず、ただ今のままでいいのだ。ただ、考え始めてしまったために余計にわけがわからなくなっているだけで。
惚れている、好いている、慕っている、恋、懸想、知っているすべての言葉を並べたててみても、しっくりくるものは一つとしてない。むしろ余計にわからなくなるし、そういうう眼で彼女を見ていたのかと思うと鳥肌が立つので、きっとこれは正解ではない。
意識しすぎるからよくないのだ。呼吸の仕方を考え出したら途端に息苦しくなるように、彼女の存在と自分の立ち位置を見つめようとするから、ぎこちなくなる。
「……わかってるんだけどなぁ」
それなりに調子を取り戻し始めた喉からぽそりと零して、紅蓮は柱に寄りかかった。冬を迎えようとする空は穏やかに晴れている。昌浩はちゃんと仕事をしているのかどうにも気になる。そういえば伊勢はどんな様子だろう。今はいないこの部屋の主がいる方角へ首を捻ってみる。一日何もせずいるというのは意外に時が経つのが遅いものだ。
ふと神気が一つ戻ってきたのを感じ、紅蓮は眉間に皺を寄せた。昌浩について大内裏にいるはずの同朋が、単身帰還した。
「 どうしたんだ、勾」
一間ほどの距離を置いて顕現した同朋へ、胡乱に問うと「昌浩に暇を出された」と苦笑混じりに肩をすくめて勾陣は紅蓮の傍へ来て腰を下ろした。
「外法を受けたから療養しておけ、と」
だから玄武と交替だ。どこかしら不満げに組まれた脚から目を逸らして、紅蓮は「そうか」と頷いた。
「ちょっとは大人しくしてたほうがいいだろ。それでなくてもお前はここのところ怪我ばかりだからな」
「……お前も同じことを言うか、騰蛇」
む、と口元を歪めてみせ、妻戸に背を預ける。できるだけ意識せずに、自然な位置を保とうとした決意はすでに崩壊しかかっている。
どうしようなぁ、俺。この間もまた戯け者って言われたしなぁ。
「……騰蛇」
「んー?」
思考の海に沈もうとしていた紅蓮を無理矢理掴んで引きずり上げたのは勾陣のいつもと変わらない調子で発せられた声だった。
「そろそろ不自然に私を見ては逸らすというのをやめてもらいたいのだが」
「な……っ」
落ち着こうとしていた鼓動がぎゅ、と縮み上がった。
「無意識か?ならばなおのこと性質が悪いな」
もはや逃げられない状況だと紅蓮は悟った。背筋を冷たいものが滑り落ちていく。
「……勾」
何を言ったらいいのか、そんなことは完全に頭から吹っ飛んでいた。勾陣は何も言わずにただ紅蓮の言葉を待っている。
「俺たちの関係って、何だろうな……」
「仲間、だろう……それでは不満か?」
「不満というか、しっくりこないんだ。そういうのじゃ足りない。もっと、それ以上の何かになりたいのかもしれない」
脳裡にあった思考は実際言葉にしてみると正しく言い表せたとは言い難い。
勾陣は口元に指をやり考える素振りを見せた。言葉を探すように瞬きをして口を開く。
「私は、誰かとそのような関係になるつもりはない。……少なくとも今は」
「それは、どういう意味だ……?」
「……これ以上言わせるつもりか。我らは何のためにあるのか、忘れたわけではなかろうな」
主に仕える式神だ。勾陣は続ける。朱雀と天一は別としてだ。主以外に特別な関係を築いてしまったら、いざというとき、どちらかの身に危険が迫ったとき、咄嗟の判断を迷うかもしれない。
「そんなものに縛られたくはないし、縛りたくもない。騰蛇、私たちは式神なのだよ」
「そんなことは百も承知だ。大体、縛ろうと思ってるわけじゃない」
「お前がそう言っても、想いというものはたやすく相手の心を縛り、捉える。ときにそれは強さにもなるが、弱みにもなり得る」
「あ、いや……うん、確かに言うとおりだが、……そもそも実は自分でもよくわかってないというか」
何で俺たち、神将なんだろうなぁ。言いかけた言葉は呑み込んで、「このまま変わらなくてもいいって、思ってたんだが」としばらく前から抱いては否定してきた思考をぼそぼそと口にした。
「いつからだろうなぁ……うん。すまん、忘れてくれ」
こうして言葉を続けている間にも、それは呪となり彼女を縛っていく。
「身勝手だな」
「その通りだな……」
勾陣は少し首を傾げた。
「そうだな……例えば、今から百年、千年と時が過ぎて、その頃の世に今ほど神将の力が必要でなくなっていたら、また変わるのかもしれないが」
心というものは不変ではない。だから先のことはわからない。
「これだけは言っておく。お前のことは嫌いではない。 私よりも強いからな」
それだけ言い置いて、勾陣は隠形し異界へと消えた。張り詰めていた場の空気が弛み、紅蓮は身体中から息を吐き出して顔を両手で覆った。
この場合は果たして振られた、というのだろうか。そもそも中途半端な気持ちを吐露してしまったこちらにも否はあるわけで、こんなことになるなら言わなければよかったと今更後悔するが遅い。明日から勾陣の顔をちゃんと見ることができるのか。十二神将最強を冠する自分の弱さに呆れる。
「まあでも……どうにか、なるか……?」
勾陣のことだ。明日になれば何食わぬ顔で接してくるに違いない。そう思い込むことが唯一の救いだった。
異界に戻った勾陣は手頃な岩に寄りかかり、先ほどまでの遣り取りを脳裡で再生していた。騰蛇から告げられた曖昧な感情は、勾陣の心を揺さぶらなかったといえば偽りになる。
「……もっとわかりやすいことを言えないのか、あいつは」
騰蛇はその手のことにかけてはきっと不器用だ。青龍と張り合えるぐらいには鈍いと観察していたのだが、やはり自分で整理がつけられていないらしい。
向けられる想いがいつからか変化していたことは薄々感づいていた。ただ、それがどういった類のものかまでは、勾陣は追求して考えなかった。
誰かを愛おしいと思う感情があることは理解している。それは昌浩や彰子を見ていればわかるし、遡れば晴明と若菜も見ていた。これが愛情とか恋とかいうものか、と最近は天后を見ていても感じるようになった。
ただ、勾陣自身にはそれが存在するとは思えない。自分が、誰かに愛情を抱くなど想像してもできなかった。だから、自分には無縁のものだと思っていたのだ。揺らぎのない晴明への忠誠と自分への矜持さえあれば、勾陣は己を保っていられた。
騰蛇に向ける想いの種別は確かに親友である天后に対するものとは違う。違うのに、わからない。常に一歩引いて俯瞰で物事を見る癖が仇になったな、と息を吐いた。客観的になりすぎて、これが自分の身に起こっている出来事だと認識できない。今もこうして戸惑っている己を別の角度から冷静な己がじっと観察している。
「わからないな……」
何もかもが。かと言って天后に相談を持ちかけたら彼女は騰蛇のところへ殴り込みに行きかねない。それは困る。
頬にかかる髪をかき上げて勾陣は灰色の空を仰いだ。時が経てばいずれこの靄がかかった想いの正体も明らかになるかもしれない。
それまではまだ、同朋としての位置にありたかった。
存外、自分は混乱していて、現実から逃げているだけかもしれないな、とも思った。
本当はとうに結論が出ているのかもしれない。自分と、彼との関係性に。
fin.
一旦ここで区切り